2011-10-27

a girl



私が初めてお人形と会ったのは、高校3年生の暑い夏の日で、図書館で勉強した帰りに隣の美術館にあった「生き人形」という文字に惹かれてぷらりと入ってみた、堀佳子先生の展覧会でした。等身大の人形、小さな妖精のような人形、劇に使われた指が滑らかに動く人形。そして、会場の真ん中あたりに横たわっていた、全裸の金髪の少女のお人形。私は、一瞬で心を奪われて頭が真っ白になって、外の世界から自分を守る分厚い鎧を引っ剥がされたような気持ちになった。その子には人間の感情すべてが詰まっていて、とにかく大きなショックを受けました。あのユラユラと暑い日差しの中で、華やかに集ったお人形たちに出会い、目を合わしたことで、かなり自分の中の軸が動いたのを今でもはっきり覚えています。

私は、お人形を見つめることが一周して自分を見つめていることだと感じていて、それは思い出や体に刻み込まれた記憶というフィルターを通さない、持って生まれた「少女性」をダイレクトに見つめることなのかな、と思っています。彼女たちは生でも死でもなく、超越した位置から人間のコアな部分をあぶり出すような、エネルギーを秘めている。それはいわゆるアートというトピックには含まれないことで、はるか昔から人形に何かを託してきた人間の歴史のDNAを感じるような、だから芸術鑑賞とは全然違う体験じゃないかな、と思う。かなり大げさな思考だけど。そしてそれは、身体を過剰にオーバーリアクションで表現したベルメールの球体間接抜きでは語れないんじゃないか、と思う。

そして、人形にはエロスがにじみ出ていて、自分が女であるということを意識せざるをえない。唇の表情から指の先まで。少女の自分を見つめて、同時に女の自分を見つめる。見れば見るほど感情は複雑な曲線を描く。お人形って時が止まっているというより、何千もの時の同時進行のレースみたいなものをまとっているようです。

いつかまた「マリアの心臓」が戻ってきますように。

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